呼吸のように・・・

俳句のエッセー

ヒキガエル

父が亡くなったのは、立春を迎えた直後でした。
春とは名ばかりの、寒さの厳しい頃、
遺された私たちは、その寒さもわからないほどの感覚でした。
やがて牡丹雪が降り、こでまりが咲き、
紫陽花が色付くころとなり、
時は普段通りに過ぎてゆく不思議を思いました。
父は愛飲家で、縁側へでたり、裏庭の階段のところへ出たりして、
煙草を楽しんでいました。
病気をして、煙草は止められていたのですが、
隠れて吸っていたのを、誰もが黙認していました。
もう、命が短いと分っていて、
好きな煙草を禁止するかどうか、意見の分かれる所でしたが、
主治医は、
「日に2、3本なら…」と、承知してくれたのでした。
若いけれど、良い先生でした。
さて、その、父の指定席に、
何と蟇蛙が登場しました。
動きの鈍さは驚くほどで、脅しても退けません。
やがて、父ではないか…という説も出され、
共存の道を選ぶことになりました。
今日は、日野原先生の訃報が流れましたが、
先生も何かに姿を移して、見守っておられるかもしれません。
キリスト者だった日野原先生には、学ぶところが多くありました。
私も、主を証していく人生になればいいと願っています。
一度もお目にかかることはありませんでしたが、
いつか天の国でお会いできますことを、楽しみにしています。
それまで、さようなら。