呼吸のように・・・

俳句のエッセー

洗足木曜日

今日は、あの有名な「最後の晩餐」の日です。
イエス・キリストが、弟子たちの足を洗い、
互いに仕えるものとなりなさい、との見本を示されました。
教会では、夜の祈祷会が開かれ、聖餐が行われました。
当時のように、パンと葡萄酒をいただきます。
そして、祈りをおささげしました。
しかし、祈りつつも、人の罪は深く、
何処までもついてくるのです。
私たちは、罪を見せないでおくことができます
お腹の中で何を考えていても、かくしておくことができます。
しかし、その仮面が崩れたなら、どうなるでしょう。
むき出しの感情は、誰にも耐えがたいものに違いないのです。
エスを売ったユダも、十字架に架けろと叫んだ民衆も、
そのむき出しになった罪の姿です。
そして、それは、私の姿でもあります。
私たちは、誰もが狂っているのでしょう。
神から見れば、人間は、誰も狂人です。
エスは、十字架上で言われました。
「彼らをおゆるし下さい。何をしているのか、知らないのです」
私たちは、狂人です。
何をしているのかわからない、狂人です。
そして、この言動すべてが、罪の姿なのです。
繊細な感覚を取り戻し、我が身をかえりみましょう。
罪の姿を見つけたら、あなたは救われていることを知るでしょう。
罪を知らなければ、救いは分かりません。
あなたに罪があるのなら、すべて赦されている十字架の意味を知るでしょう。
すべての方に、この恵みが知れ渡りますように…
祈りしましょう。