今日はクリスマス。
申し訳ないことに、今日になって発送したクリスマスカードがあります。
明日にはお届けできると思います。
遅くなっても祝福は変わりません。
いえ、むしろ大きくなるかもしれません。
私のずぼらによって、神様もいい加減なのだと思わないでくださいね。
神様は、信頼できる方です。
(私と違って…)
さて、今日お生まれになった救い主は、イエスという幼子です。
若く、貧しい若い夫婦に生まれた、初めての子供です。
この子が生まれてほどなく、夫婦はエジプトへ移住します。
移民生活は、ちょっと考えただけでも、大変だったろうと想像できます。
極貧の状態で、幼子と両親はイスラエルへ戻りましたが、
父ヨセフは、若くして亡くなりました。
長男のイエスは、一家を支えるため、父の跡を継いで大工になりました。
そして、30歳ごろに預言者としての活動を始め、
およそ3年後、十字架に処刑されました。
群衆が罵声を浴びせ、母マリアが見守る中、
イエスは息を引き取りました。
このみじめな男は、一体、何のために生まれてきたのでしょうか。
人並みの喜びも知らず、苦労ばかりの人生で、
裏切られ、冤罪で死刑になったイエス。
なぜ、生まれて来たのか、生まれてこなかった方が良かったと
誰もが思う、イエスの人生です。
しかし、驚いたことに、イエスは死ぬために生まれてきたのでした。
十字架で殺されるために、この世のあらゆる苦難を舐めて死ぬために、
生まれてきたのです。
実は、死刑になるのは私たちだったのです。
人を傷つけ、裏切り、欲ばかりの私たちの罪。
神様の呪いを受けて死ぬはずだったのは、私たちだったのです。
しかし、イエスは、その罪を一人で負い、十字架で殺されました。
私たちの身代わりとなって。
神の呪いを一身に引き受けて、私たちを赦して欲しいと神に願い、
身代わりとなって、死んでくださいました。
神は、イエスの死によって、私たちを赦してくださいました。
死ぬために生まれた、神の子イエス。
いけにえの子羊。
彼のことを思えば、耐えられない人生はないと言えるでしょう。
神様のしてくださったことを思うと、
感謝のない人生はないと、言えるでしょう。