日曜日は主の日。
私たちの地方は、真宗王国と呼ばれるほど、
浄土真宗を宗旨としている家が多いのです。
私の家もそうです。
ただ、家の宗教と個人の信仰とは別でして、
私は、今、キリスト者です。
今日の説教では、浄土真宗の門徒たちが歌った、有名な歌が紹介されました。
「耶蘇教徒の弱虫は、磔拝んで、涙を流す…」
キリスト者を揶揄する歌です。
「弱虫」
そう言われると、憤りを感じます。それは、
当たっているからだと思います。
少なくとも私は、自分の弱さを知って教会へ行きました。
助けてほしいと思いました。
思いを訴える場所がほしいと思いました。
しかし、それは、恥ずかしいことでしょうか?
誰もが表に出さないだけで、人は、それほど強くはありません。
むしろ弱さを認めることで、人は強くなれるものです。
弱さを認められない人は、なんとみじめでしょう。
永遠に自分の本当の姿を隠して生きねばなりません。
自分の影におびえて過ごさねばなりません。
そんな姿勢は、人を矮小化させてしまいます。
そう思います。
弱虫は、弱虫のままで終わりません。
磔にされたキリストが、私たちを守ってくださるからです。
私たちは、喜んで「弱虫」と呼ばれましょう。
その弱さをキリストが引き受けてくださり、
「弱虫」と馬鹿にした人たちと戦ってくださるでしょう。
神を敵にはしたくないものです。
「耶蘇の弱虫」は、キリストに救われた喜びの涙をも
流しているのです…