呼吸のように・・・

俳句のエッセー

ある小さなスズメの記録

大戦中のイギリスで、巣から落とされたスズメを拾って
12年間育てた記録を読みました。
物語の最初から、なにがしかの陰鬱さを感じていたのは、
いつか訪れる、そのスズメとの別れを感じていたからでした。
あるスズメの記録とあるからには、
そのスズメの一生が書かれているに違いないので、
この薄い本の最期には、必ず、
今は若くて愛らしいスズメが、その生涯を閉じる時が
書かれていることを予想したからでした。
そして、最期は訪れました。
おそらく、実際と同じように、
あっけなく、熱い余韻を残して。

「人間ぽい」と、作者は書きました。
小さな鳥にも豊かな個性があるといいます。
そして、この「人間ぽい」スズメは、
巣から落ちて拾われたときのように、作者の手の中で亡くなりました。
ちょっと首をもたげて、
慣れ親しんだ「友人」を呼ぶ鳴き声で鳴き、息を引き取りました。

二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。
だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、
地に落ちることはない。
(マタイ10:29)

本を読むスズメの撮影のために、偶然開かれたこの箇所は、
単なる偶然ではなく、天の父なる神の必然だったのでしょう。

だから、恐れるな。
あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。

(同31節)

雀よりも、はるかに長く、複雑な生を生きる人間に語られた言葉です。
それでも、この小さなスズメよりも、
私たちは、その命を使うことに関して、劣っているかもしれません。
人は、人を傷つけ、自分を傷つけて、
命を生かすことよりも、殺すことに関心があるようです。
なぜ、命を生ききることができないのか。
なぜ、命を大切にすることができないのか。
何に怯え、何にこれほど傷ついているのか。
人の世は、飢え、渇きに満ちています。

「だから、恐れるな。」

人の世に希望を、魂に安らぎを、今、この時の平安を、
父なる神に求めて祈ろうではありませんか。
弱い私たち自信のために…