呼吸のように・・・

俳句のエッセー

伝道する教会

今日は信徒セミナーが開かれ、
「伝道する教会」と題して、井ノ川勝牧師のお話がありました。
今、生きておられるイエス・キリストが、
私の生活の中に現れているかどうか、自分を顧みて、
福音を伝える思いを強くしたのは、皆、同じだったと思います。

救いは、すでに訪れています。
それを知らされた「受洗」でした。
しかし、時が経ち、様々な困難に出会うとき、
心身ともに疲れ果て、嫌なことばかり思い出してしまいます。
自分を蔑んでしまうとき、思い出しましょう。
「救いは、すでに、成し遂げられています」
主が十字架にお架かりになったのは、私の罪を代わりに負ってくださったからです。
ですから、私は赦されています。
すでに、救いは訪れているのです。

罪からの解放とは、このような単純なことから始まるのではないでしょうか。
「覆水盆に返らず」…終わったことを悔やんでも仕方がない…
このような、諦めに似た思いではなく、
そのことは、もう赦されているのだ、という事実です。

それは、もちろん、「水に流す」という軽いものではなく、
主イエスの壮絶な十字架の死によって、私たちに与えられた「赦し」です。
罪からの解放を思うとき、同時に主イエスの痛みを覚えねばなりません。
これが福音です。

私たちの罪は赦されました。
自分を恥じることはありません。
「眠れない夜」から解放され、「感謝」に満たされる、救われた生活。
このことを信じて生きていく姿を、
主が伝道へと用いてくださるのではないでしょうか。