祈りの時、主の御旨が成りますようにと言います。
すると、主は
「あなたは何を望むのか」と、問われることがあります。
私は何を望むのでしょう。
優等生的に、「世界平和」とか、様々に祈るのは正しいことです。
ですが、天の父は、父として子供の私を愛して下さいます。
この世には、困難があり、苦しみがあり、悲しみもあります。
その痛みをご存じの神は、
この小さな者の小さな思いに寄り添ってくださいます。
あなたは何を望むのか?
いきなり優等生になる必要はありません。
だから、私も考えました…
主よ、この痛みを癒してください…
手術の後のように、
悪いところを除いたあとは、その前より状態はいいはずです。
しかし、傷口が癒えるまで、痛みはあります。
だから、この痛みを癒してくださいと望んでいいのでしょう。
自分も完璧な者ではありませんから、失敗や過ちはあります。
それらをお詫びし、また、同じように許すことを決心しても、
愛することはできないかも知れません。
理解しても愛することとは別だと思ってしまいます。
解決した後で残る痛み…
どうしたらいいのでしょう。
一つは、それを乗り越えて愛を与えて下さるように祈ること。
もう一つは、新しい時を生きて、忘れることです。
もしも、忘れていいのなら、忘れたい。
そのようなことは、誰にもあることでしょう。
忘れていいのです。主が許しを与えて下さったのだから。
だから、もし許されるのならば、
新しい時を生きたい、すべてを新しくしたい、
正直な願いです。
ただ、私の思いではなく、御旨のままに…
主を信頼しているからこそ、
奥底からのうめきを打ち明け、すべてをゆだねることができます。
この幸いを思います。
キリスト者の幸いです。