追い剥ぎにあい、半殺しの目にあったユダヤ人。
通りすがりのサマリア人が助けるお話は、
イエス・キリストが話されたたとえ話です。
「このようにしなさい」とおっしゃいました。
しかし、善行は救いの条件ではありません。
イエス・キリストが私たちの罪を負って
十字架に架かってくださった。
それ以外に、救いはないのです。
では、善き行いをするのは必要ないのでしょうか?
それでは、私たちは、見返りがあるから
善き行いをするのでしょうか?
そうだとしたら、それは「愛」ではありませんね。
善き行いとは、救われたから出来ることなのです。
イエス・キリストに見る十字架の愛。
神様が愛して下さった、その愛を受けたからこそ、
人を愛することができるのです。
それが、見えない神を愛するということです。
善き行いは、救いの条件ではありません。
祝福を受ける条件ではありません。
神の愛を受けた者が神の愛を伝える、
福音の具体的な姿なのです。