呼吸のように・・・

俳句のエッセー

愛はあるか

教会では、色々な出来事を、
キリスト者としてどのように考えるかを問われます。
たとえば、誰かの不躾な態度があったとして、
それにどのような対応をするか、ということがあります。

一般的に、社会では注意をしたりするわけで、
それは教会でも変わりません。
ただ、問われるのは、
その行為に、愛があるか、ということです。

相手に対しての愛がなければ、
正しい指摘や行為も、偽善になってしまいます。
愛がなければ仇になってしまうことが、大いにしてありうるのです。

ただ、その「愛」が受け入れられるかどうかは別問題です。
こちらに「愛」があっても、それを受け入れるかどうかは、
相手の自由ですから、無理強いはできません。
受けいれられなければ、辛いですね。
悲しいです。
けれども、だからと言って、
相手を責め、批判することはできないのです。

では、どうすればいいのでしょうか?
祈ることです。
祈ってどうなる…ということはありません。
祈りは聞かれます。
すぐにではないかもしれません。
しかし、最も適した「時」が備えられています。
それを信じるのが、信仰です。

私たちに問われていること、それは、ただ一つ。
その行為に「愛」はあるか?ということです。

常に自分に問いかけていきましょう。

      (祈祷会にて…)