呼吸のように・・・

俳句のエッセー

終わりではない…

今日は、主イエスが十字架にかけられ
黄泉に降られた日です。
私たちの罪のために、私の罪のために
その贖いとなって十字架にかけられました。
自分の罪も分からない、獣のような人のために。
屈辱と痛みを受けて、人の身代わりとなって。

主イエスを愛し、付き従おうとしても挫折する私たちです。
慢心し、人を蔑む私たちです。
このような罪が、イエスを死に追いやりました。

自分の罪のため、最も大切な何かをむしろ失う時、
愕然として、全身の力が抜け、途方に暮れるのでしょう。
しかし、
これが終わりではありません。
主イエスは、ご復活なさったのです。

今日、墓に納められた主は、
日曜日の朝、もう、その墓はありませんでした。

空の墓を見て、人は悲しみます。
泣いている私の後ろから、声がします。
「なぜ、泣いているのか。」
「私の大切な方のお体がないのです。」
そう答える私に、主は語りかけられます。
私の名を呼ばれるのです。

「なぜ、泣いているのか」、そうお尋ねになった方、
その方こそ、救い主、イエス・キリストでした。

あなたの悲しみのすぐ後ろに、主は立っておられます。
優しく語りかけられます。
「なぜ、泣いているのか」と。
もう、悲しむことはない。
私は復活したのだと、あなたの罪は贖われたのだと。

もう、恐れることはありません。
十字架の死は、終わりではありません。
力強い救いの徴です。

主を十字架にかけた私たちですが、
その十字架によって生きよとおっしゃいます。
これが、神の愛です。
だから十字架を見上げて歩き出しましょう。
十字架は救いのしるし。
私たちの贖いのしるしなのです。