呼吸のように・・・

俳句のエッセー

冬の終わり(節分)

日曜日は主の日。
今日は2月最初の主日なので、聖餐式が執り行われました。
パンと葡萄酒は、主イエスの御体と血潮です。
主は、私の罪の為に十字架にかけられ、黄泉に降られました。
その事を感謝をもって受け止めます。
しかし、いつの間にか、
都合良く「罪の赦し」だけを受け取っている自分に気づきます。

自分の過ちのために、誰かが苦しんでいて、
今にも死に至るというのに、
その誰かを助けるよりも、自分の過ちが明るみにされることを拒む自分。
その誰かは、それでも自分を責めず、決して恨まず、
その弱さを憐れみ、赦してくれることを知っている自分。
つまり、その誰かは自分を愛してくれていて、
その愛を利用しようとしている自分。

なんと醜い心でしょう。
愛を利用しているのです。
「ごめんなさい」と泣きながら言い、
心のどこかでは、それでも赦されると甘えていることに気付きます。

何と恐ろしい心でしょう。
ご自分の命を、私のために差しだされた神の愛に、
愛をもって応えられるように、
神を深く愛する心を願い求めたいと思います。

     ×  ×  ×


今日で、ブログ丸一年が経ちました。
俳誌「雉」HPの一環として、
エッセーコーナー「四季の庭」をイメージし、
このブログを始めました。

今日で一応、俳句の季語をテーマとしたエッセーに区切りをつけ、
明日からは、新しい形でスタートしたいと思います。
より自由なテーマにしたいと考えています。
また、ご意見等、よろしくお願いいたします。