秋の川は、水が澄んで、
黒い色の鯉も、橋の上から揺らいでいるのが見えます。
時々、流されながら、うろこが鈍い光を放ち、
尾鰭で底砂を巻き上げて、川の水を濁しています。
川は流れて、水が滔々と流れて、
同じ水はなく、絶えず新しくされています。
人の世も同じ。私たちは流れていく川の水のようです。
私たちの一生は、神の目には一瞬の瞬きのようです。
短く、儚く、跡形もなく流れ去ります。
しかし、同時に忘れていはいけません。
永遠に生きる神にとって、時間は流れ去るものではないのです。
すべての時が、神にとって「現在」なのです。
神は、すべてを記憶にとどめておられます。
私たち存在も、私たちの過ごした一瞬の時間も、
いいことも、悪いことも…
主イエスの十字架も、
私たちの罪の行いも、
すべてが「現在」なのです。
ゆえに神は、すべての罪の前に十字架を置き、
「その罪を思い起こさない」と言ってくださいます。
キリスト者とは、赦されて生きる者のことです。
罪がないのではありません。罪を許された者なのです。
過去が帳消しになるのではありません。
過去の意味が変わるのです。
十字架によって、「赦しと救い」の歴史に変わるのです。
そのことを知らされて生きる幸い。
それがキリスト者の「恵み」なのです。
人は赦されなければ生きていけないからです。
過ぎ去った時を、救いの恵みの歴史に変える十字架。
すべてが神の愛の内にあり、
祈りは必ず聞かれるということを信じて、
神に語りかけてみませんか?
神はインマヌエル、「私たちと共に」いらっしゃいます。