私の母教会は、今年、百年を迎えました。
2月に100歳になったのですが、来週、記念礼拝がとり行われます。
私も記念に、何かお捧げしたいと思い、俳句を考えました。
短冊に認めてお持ちしようと思います。
短冊は、初めての経験になります。
教会は、保育園が併設されていますので、
庭は四季折々のお花や木々で溢れています。
今は、姫りんごがたわわに実り、鉦叩がしきりに鳴いていました。
鉦叩(かねたたき)は、チンチンチンチンと
鉦を打つように鳴くので、この名があります。
優しい音色は、普段は子供たちの声にかき消されてしまうのでしょう。
日曜の午後は、この時とばかり、しきりに鉦を叩いていました。
俳句をお捧げしようと考えたのは、この才も神様にいただいたものだからです。
神様にいただいたものは、神様にお返しします。
「タラント」のたとえのように、
10タラント預かった者は、10タラント、
5タラント預かった者は、5タラント、
十二分に用いてお返しするのです。
才能というと、努力しないで実りを得る幸運だと考えがちですが、
この世の中に、努力しないで得られるものなど、皆無と言っていいでしょう。
そのことを、私たちはよく知っています。
「与えられた賜物をお返しする」とは、
私は、「苦労をすること」だと考えています。
「努力」と言い換えてもいいかもしれません。
主のための苦労や努力は、決して裏切られることのない希望です。
それは、主によって用いられるからです。
誰でも、神から与えられた使命があります。
神の選びがあります。
そのことのゆえに、様々なことが起こってきますが、
それは、神様が、それを耐える器として、
あなたをお選びになったということなのです。
今ある力を出し切って、
主の宮の記念すべき時のために詠みあげたいと思います。
なんと幸運なのでしょう。
この恵みを主に感謝したいと思います。