織姫と彦星が、一年に一度、天空で逢瀬を楽しむ日。
七夕には、たくさんの思い出があります。
子どもの頃を言えば、
町内の子ども会で七夕飾りをして、夕方、大川へ流しに行きました。
男の子が生まれた家では、盛大にお祝いをします。
親戚が招かれて、ご近所が招かれて、
派手な飾り付けをした七夕竹の行燈に、子どもの名前を書き入れます。
そして、
酔っ払った大人たちが、大川までの道のりを、竹を曳いていくのですが、
そぉれ!とばかり、10メートルほど一気に曳いては止まり、
黒田節を歌い、お酒を飲んで、また一気に10メートルを曳く…
その繰り返しですから、川までどれだけかかることやら。
大川までの通りに住んでいた私は、
深夜になってやってくる酔っ払いの七夕に、
「また来た!」と、嬉々として窓へ走り寄ったものでした。
提灯には火を入れて運ぶので、途中で燃え上がることもしばしば…
大変なのは、各家に立てられている七夕竹が、
その場で燃え上がってしまうことでした。
今では考えられないことですが、提灯に火を入れて、
玄関先に飾っていたのですね。
1メートルや2メートルの竹ではありません。
立てれば二階までの高さになる大竹です。
それだけの七夕竹を、一軒で飾っていた時代でした。
それに火がつくのですね。
火災は後を絶ちません。
川に着くと、橋の上から放り投げるのですが、
環境問題で流すのは禁止され、
代わりに、河原で燃すことになりました。
キャンプファイヤーを思っていただければいいのですが、
燃え上がる炎に竹を倒していきます。
ある時から、派手な演出を思いつき、
竹に火が付いた段階で、もう一度、竹を立てるのです。
燃え上がる炎が、星空へ向かって渦を巻きます。
大歓声と大興奮。
一カ月もかかって装飾してきた七夕飾りが、
あっという間に灰になっていきます。
そして、帰る頃は、すっかり夜になっていました。
今では、河原で燃やすことも禁止され、
中学校のグラウンドまで担いで行って、そこで竹を小さく切って、
あとでゴミのように回収されていくとのこと。
そんな悲しい姿を、見たくはありません。
それでも、子どもたちは、
竹をしなわせて出て行きます。
相変わらず笛を吹き、灯油缶(今でも、かな?)を叩きながら、
わっしょい、わっしょいと出て行きました。
私に言わせれば、竹は小さいし、飾りも短冊もスッカスカで
全然なっていないのですが、
子どもの数が少ないから、仕方がないのでしょう。
しかし、それはそれで、
彼らには七夕の思い出となっていくのでしょうね。