家を新しくする前、裏に山椒の木があった。
実も成って、よく佃煮にして食べたが、
美味しくて、ご飯がすすんだものである。
それが、ある時なぜか、枯れてしまった。
可哀そうだけど、仕方がないので、切ってしまうことになった。
割と頼りない鋸を取り出して、切り始めたが、
思いの外、簡単に切ることができた。
ひこばえもなく、山椒はそれきりになった。
「山椒は小粒でもぴりりと辛い」
私たちによく当てはまる言葉だと思う。
小さな存在でも、私たちは無くてはならない存在である。
また、小さくても、とても存在感があり、侮れない。
自分では頼りなく、大した価値もないように思われる、そのところで、
実は、大きな働きが待っているのかもしれない。
いえ、もう行われているかもしれない。
山椒は自分の味を知らなくても、
山椒を口にした人が証明してくれるでしょう。
山椒は小粒でもぴりりと辛い、と。
何かに用いられるのを待つ、そのような時が今ならば、
そのように、そのつもりで生きたらいいのかもしれない…