呼吸のように・・・

俳句のエッセー

青麦

私たちの教会には、保育園が併設されていて、
子どもたちの礼拝も行われています。
入口の大きな花瓶には、いつもお花が活けられており、
チューリップや桜や百合が私たちを、子どもたちを、迎えてくれます。
新しい年度に入り、青麦が真っ直ぐに活けられていました。
伸びゆく子どもたちには、お似合いです。

子どもたちは、これからキリストの愛を教えられていきますが、
もともと「愛」とは、日本人になじみのない言い方でした。
二葉亭四迷が、 
I love you を「わたし、死んでもいいわ」と訳したことは有名です。

死んでもいい…

そう言ってくれる相手に、
「ああ、そうですか。では、そのようになさってください」
とは言わないものです。
それは愛を受け入れるのではなく、利用だからです。

イエス・キリストは、その言葉の通り、
私たちを愛するあまり、私たちの苦しみを担って、死に至られました。
その十字架上の出来事は、歴史的事実というよりは、
現実味のない伝説のように感じる人も多いかと思います。
しかし、イエスという人は確かに存在しました。
大工として働かれ、お酒ものみ、笑い、涙し、
弟子と共に旅をして、最後は冤罪で十字架に架けられました。

かばってくれる人は、いませんでした。

確かに、どうしようもないことは、たくさんあります。
自分の無力さに打ちのめされるなど、いつものことかもしれません。
しかし、そのことに慣れてしまったり、諦めてしまったりするのは、
愛を受け入れることとは違うのではないでしょうか。

では、どうしたらいいのでしょう。
イエス・キリストに対し、
「私も、死んでもいいです」と言うのです。

しかし、その時に、
「あなたは死ななくていい」と言ってくださいます。
「わたしが、あなたの代わりに死ぬのだから、あなたは恵みに生きよ」と、
そう言って下さるのです。
これは、人間にはできないことではないでしょうか。

しかし、それを喜びたいと思います。
この自分の幸せの代償として、私は滅んでもいい。
それが、私の願いだと言ってくださることを、素直に感謝したいと思います。

青麦のように、真っ直ぐな愛を身につけたい、
そう願って止みません。