私には歌の才能が、ない。
小学校のころから、合唱大会だとか、コーラス何とかだとか、
先生が歌の上手な子を選んで編成することがよくあったが、
そのような選考に選ばれたことがない。
どうも腹式呼吸というのができないようで、
数年前の伝統医学の実験では、そのために、
最後まで正確なデータがとれなかった実績がある。
しかし、歌は大好きで、
いつも合唱大会だとか、コーラス何とかには、
「入れてください。お願いします」と、
願い出て参加していたという奇特な存在だった。
高校の聖歌隊も、志願して入った。
選ばれ組が、ぼろぼろと止めだした頃、
「聖歌隊に入りたいのですが…」と申し出た。
先生は、それは喜んで、すぐに加えてくださった。
週に一、二日の練習日には、二十名前後の隊員が練習した。
それが、クリスマスが近づくと、おそらく六十名以上の大編成になった。
あなたも聖歌隊?という会話が聞かれるほど、意外なクラスメートが集って来たりする。
遅れて来た人は、上手な人の傍で歌って、旋律をマスターしていく。
そして、晴れ舞台のクリスマス・ページェントが終わると、
また、練習には二十名前後になる。
次に隊員が集うのは、卒業式と入学式だ。
こうして、聖歌隊は膨らんだり、しぼんだりして、つつがなく運営されていた。
卒業式か入学式には、お祝いのお饅頭が配られた。
隊員は、練習の量にかかわりなく、一つずつ受け取って、喜んで帰って行った。
聖歌隊の中心ともいえる真面目な約二十名は、歌が好きだったのだ。
この感覚が今でも心地よく思い出される。
私は、今も歌が下手である。そして、大好きである。
私と違って、歌の上手な雲雀が、
田舎の大きな空をせわしなく羽ばたいて、美しく歌う季節は、
もう、すぐ、そこに来ている。