呼吸のように・・・

俳句のエッセー

ぶらんこ

ぶらんこは、
花を咲かせたり、実をつけたりするような植物ではないが、春の季語である。

「古く中国から渡来した春の遊戯の具」ということのようだ。
  (『風俳句歳時記』沢木欣一編 平成8年)
副季語に「ふらここ」「半仙戯」「ゆさはり」などがある。

私は、ふらここの俳句で、
「雉」田島和生主宰に、秀句・佳句に選んでいただいたことがあった。

  ふらここをひとり軋ませ長電話

「使い古したふらここを漕ぎ、携帯で長電話をしている姿を読む。
 現代的な風景で、『ひとり軋ませ』の写生が光る」

このように評してくださった。
とても嬉しかった。
ほのぼのとして、夢がありそうで、自分でもこの句が大好きだ。

八重桜が咲きそろう休日の城山公園に、
桜を独り占めにして時を過ごしていた。

その解放感から、ふと、ぶらんこを漕ぎ出した。
漕ぎ出したら、どんどん力が入って、耳元に風が鳴るくらいになった。

そこへ、
谷の遊歩道から、幼い子とお父さんが、急に私の目の前に現れた。
夢中だった私は驚き、恥ずかしくなって、すぐにぶらんこから離れてしまった。

その時、手にしていた携帯電話は、
用事を思い出して友人にかけたが留守だった、
長い「呼び出し」だった。

幸せそうで、ほのぼのとしたこの句の実際は、
肩すかしだったり、焦ったりした場面だったわけである。

事実の奇、である。