もう、どれだけになるでしょうか。
記憶では、母と、その頃お世話になっていた俳句の先生と一緒だったから、
もう、十五年ほどになるかも知れません。
近くにある真言宗のお寺の庭へ入っていくと、
そこは鬱蒼として、日差しが届かず、
湿った空気が恐ろしく感じられるほどだったように覚えています。
いくつかのお墓もあり、
緩やかな傾斜の石の階段は苔むして、
滑りはしないかと心配するほどでした。
そのおどろおどろしい景色の中で、
軽く続く、虫の声のような音を聞きました。
年配の俳句仲間のお一人が、
「春蝉だ」と知識豊かな瞳で、私に教えてくださいました。
これが、春蝉か…
始めてはっきりと、春蝉を意識した場面でした。
春蝉の声は、もううろ覚えになってしまいましたが、
記憶の中のその方々は、懐かしく思い出してしまうのです。
もうお会いできなくなったからでしょう。
今、私は普段、一人で吟行に出かけますが、
なかなか新しい知識を得ることはできません。
私は、母が到達できなかった、「雉」誌の同人に
運良くなってしまったわけですが、
まだまだ迷うことが多く、
知識不足で、おぼつかない感じが付きまといます。
今、あの時が与えられていたなら、
もっと知識を得ることができたのに。
光陰を無駄遣いしてしまったようで、残念でしかたがない。
そのように思い出されます。