高校の入学式で校長先生が、こう挨拶された。
神様は、こうおっしゃる。
「あなたが、わたしを選んだのではない。
わたしが、あなたがたを選んだのです。」(ヨハネによる福音書 15章16節)
この言葉を聞いて、私の母が涙したということは、
随分あとになってから聞いた。
それほど心配だったのだろう。
母は、私のバランスの悪い成長ぶりに、自分を責めていたようだった。
なぜ、皆が普通にできることが、できないのか…
思い起こせば、小学校一年生のテストで、
「おおきい の はんたい は」という質問に、
「いきおお」と答えた。
このことは、長く、母の心に影を落としていた。
大きいの反対の「意味」は? とは書いてなかった。
大きいの反対は? としか書かれていなかったのだ。
「いきおお」で間違ってないじゃないか!
ある意味で、これほど正しい答えはないのである。
後に、遠藤周作も同じ間違いをしたと知った時は、嬉しかった。
しかし、母は密かにずっと思い悩んでいたのだ。
その母を安心させ、救いに導いたのが、
入学式でのこの言葉だった。
今までのことは、すべて、
神様が備えていてくださったことだったのだ。
そう素直に信じ、自責の念から解放されたという。
自分のせいではなかったと、安心したのである。
普通のことができなくて、人と違ったことができてしまう、
このバランスの悪い性格には、今でも悩まされているが、
母と同様、
すべて神様のせいにして、朗らかに過ごしている。
私は、人も羨む、ご気楽なキリスト者なのだ。