呼吸のように・・・

俳句のエッセー

卒業論文

大学入学の重要な目的の一つは、考古学を学ぶことだった。

卒論指導登録の条件を満たし、ようやく面接にこぎつけた。
三田、研究棟地階。
目の前に、鈴木公雄教授がおられる。
緊張と興奮で一杯だったことを覚えている。

貝塚と栄養学を結びつけた研究をしたいと考えたが、
それは難しいと言われた。
貝塚をやりたいのなら、研究史という視点もあると提案される。
それでも私は、貝塚定量分析、自然科学分析から
何かをしたいと希望を伝えた。

縄文時代の資料は大変少ない。
しかも、研究対象となる分析が行われている資料は、更に少ない。
その少ない資料の中で、一体、何ができるのか考えねばならない。
それは大変、困難で、卒業の時期に影響するかもしれないが、
それでも、やりたいか。

そのようなことを尋ねられたと思う。

「やりたい?」  「やりたい!」
「やりたい?」  「やりたい!」

「やりたい?」  「やりたい!」

三度、尋ねられた。そして、
「あなたにはハンディキャップがある。
関東の遺跡を扱うのに、地方に住んでいる」、から始まり、
これからの研究の進め方について、注意や問題点をご指導いただいた。

私は、年に二度の面接でしかお会いしなかったが、
非常に厳しい先生だと思った。
完璧主義でいらして、指導中も言葉を絶えず練り直しつつ話された。
話の焦点がしっかり決まっていて、否定するところは容赦なく、
しかし、要点は丁寧に指導してくださった。

このような先生に、お会いできたことは、
私にとって、貴重な財産となっていると思う。
厳しさを知り、鍛えられたからである。

厳しさというのは、口先だけでは伝わらない。
生きる姿勢で示されなければ、分からないことだと思う。

鈴木先生は、私が卒業を目の前にした2004年10月22日、前立腺癌で亡くなった。
最後は、抗がん剤治療を受けながら、自宅で講義をなさっていたということだった。

私が先生に褒められたことと言えば、ただ一つだ。

「あなたは、基本的なことはまるでできていないが、
 パソコンができるのは、エライよ。」

考古学で褒めていただきたかったと、今でも思う。