呼吸のように・・・

俳句のエッセー

2014-04-01から1ヶ月間の記事一覧

新緑の山

今日は、雨のなか吟行会でした。 緑が美しくて、一口に緑と言っても、たくさんの緑がありました。 ダムの水面はさざ波が立ち、水面に映った新緑の山を揺らしています。 雨が止むと、一斉に鶯が鳴き出し、 眼下には、水田に働く人が見えました。桜は蘂が降り…

タンポポが…

先日、撮影したタンポポが…刈られてしまいました。 タンポポも、ただの草なのです。 ここは、桜をはじめ、ドウダンツツジなどを植樹してあり、 狭いですが、手入れされた木々によって成り立っています。 タンポポは、その他の下草と一緒に、 機械であっとい…

花に毛虫

どうして、桜には毛虫がつくのでしょう? 桜の葉は、私たち人間の口にするほどおいしいですから、 毛虫がくっついてきても不思議ではありませんけど、 若葉が開くと、中から毛虫が出て来るのは、どうしてなのでしょう? 小さい毛虫ですが、新芽が虫食いにな…

花に虫

花瓶の八重桜が咲き始めました。 昨日は二つだった花が、今日は九つ開いています。 しかし、何だか黒い斑点がついていて、見て見ると、虫です。 迷いましたが、お部屋の中ですので、虫は困ります。 それで仕方なく、三つのお花を切りました。 可哀そうでした…

桜の枝

倶利伽羅へ行きました。 たくさんの花見の方が見えていて、いつにない賑わいです。 山菜採りの方も多く、皆さん良く御存じで、 私の内緒のところでも、人に出会います。 え?こんなところに…と思いますが、それはお互いさまでしょう。 まだ、GW前ですので…

白樺の花

白樺は、なぜ、白いのでしょう? 幹に触れると、白さが手に移ります。 チョークを思い出しました。白樺の花は、きぶしや栗の花のように垂れさがっています。 本によると、垂れているのは雄花なのだそうで、 雌花は、紅緑色で、上向きにつくのだそうです。風…

たんぽぽ

一面のたんぽぽ。 地に蔓延っています。 短いたんぽぽなのでしょうか?先日、縄文集落を復元した公園へ出かけました。 竪穴式住居の屋根に、たんぽぽが、黄色い花を立てていました。 こんなところに、春がやって来ていたのですね。 縄文人たちは、自然の中に…

踊子草

踊子草でも、こちらは「ヒメオドリコソウ」。 今頃から繁殖し始めて、随分長く目にすることができます。 イヌフグリや土筆たちと一緒に立っていましたが、 だんだんと踊子草が増えていっているように思うのは、 気のせいではないでしょう。 繁殖力があります…

桜…と思っていたら、もう蕊になっていました。 これからは八重桜ですね。先日、黄桜を見に行きましたが、 黄桜は「八重」なのだそうで、まだ咲いていませんでした。枝垂れ桜は、見上げると、私に向かって花がうつむいていました。花もいろいろな種類がありま…

草青む

憩いの場所、牧場。 牛の姿はなく、柵の手入れをする方がありました。 おいしそうな草が、風にふわふわとなびいています。 牛たちを迎える準備は整えられていました。空も木々も、春を感じさせるに十分です。 命が輝いていく季節ですね。

イースター

十字架で亡くなった主イエスは、新しい墓に納められましたが、 三日目の朝、そのご遺体は墓の中から姿を消していました。 「あの方は、もう、ここにはいない」 愛するイエスの遺体さえもなくなってしまったのかと、悲しみがこみ上げます。 しかし、主イエス…

聖土曜日

明日は、いよいよ復活祭です。 教会では、教会学校の染卵つくりがあり、 婦人会では、愛餐会の準備です。イースター礼拝のあと、新しい牧師御一家の歓迎会があります。 昨年は、私が歓迎されましたが、今年はお迎えする立場です。 私が歓迎されて、とても嬉…

聖金曜日

今日は「受難日」です。 夜の祈祷会が行われました。 イエス・キリストが、私たちの罪のために十字架にお架かりになった、 そのことを受け止め、祈りを合わせました。十字架の痛みは、神の愛の深さを表しているのでしょう。 自分の罪を思い、神の前に自分を…

最期の晩餐

今日は、最期の晩餐の日です。 イエス・キリストが、十字架にお架かりになる前、 弟子たちと最期の食事を共になさった、その日になります。パンを取り、これはわたしの肉。 葡萄酒を取り、これはわたしの血。 そう言って分けてくださったのです。私たちは、…

黄水仙(動画)

黄水仙。 山の道の途中、向うは田起こしを終えた田。 山雀の声が聞こえます。

菜の花

菜の花がしあわせさうに黄色して 細見 綾子菜の花が一面に咲いている川辺。 階段を下りていって、腰かけると、 菜の花が頭上に咲いて、幸せそうに黄色をしていました。 菜の花を見上げて、幸せを私もいただいて、 幸せな一日の夕方を迎えました。黄色は、太…

一輪草

人が住んでいるのかいないのか。 一輪草が、磴を挟んで蔓延っていました。 一輪草は春の季語なのだそうで、ですが、 私には、馴染みのない季語の一つでした。これが一輪草。 とても清々しいお花でした。

棕櫚の日曜日

今日から受難週に入りました。 棕櫚の日曜日の今日は、イエスさまが子ロバに乗ってエルサレムへ入られた日です。 民衆は棕櫚の葉を敷き詰めて、ホサナ、ホサナと喜びの声を上げます。 しかし、この週の金曜日、主イエスは十字架にお架かりになるのです。 同…

きぶしの花

山道を行くと、たくさんのきぶしの花に出会う。 花と言うには、ささやかな気がするが、間違いなく花である。 日が照り、また、影になり、きぶしの花は揺れる。 足元に水が流れ、とめどなき水音に花は揺らぐ。 簪にしたい、「花」である。

黄水仙

山へ出かけて、水仙を見つけた。 道の辺に並んで、黄色が眩しかった。 田圃が三枚あった。広い田だった。 それを見下ろすように、水仙は揺れていた。 水仙の前に一軒、その向こうに一軒。 二軒しかない、ここに、良く手入れされた田と水仙。 文明を拒否した…

落椿

椿の花は、花びらを散らすのではなく、花ごと落ちます。 それで、地に花が咲いたようになり、 それが椿の花の特徴でしょう。走り根があれば、根に止まり、 岩があれば、岩に留まり、 池があれば、水面に浮きます。池の水は緑に濁り、あるいは青く目に映りま…

春夕焼けが消えるころ…

真っ赤な春の夕日。雲も染められています。 春の夕焼けが、海から山へと広がっていました。 山の手の喫茶店でウインナーコーヒーを頂き、 夕日に照らされていると、時計の音ばかりが聞こえてきました。 こちこちいう時計は、振り子時計。 壁に影を揺らしてい…

お花見に賑わっていますね。 桜も咲き誇っているようです。 桜もたくさんの種類があって、蕾のものもあれば、散ってしまったものもあります。 さまざまな姿を見せてくれて、一年に一度、お花見は欠かせません。 外国で暮らす友人が、「桜が見たい…」と漏らし…

初蛙

蛙が、プランターの中に冬眠していて、 土をひっくり返すと、中から二匹の蛙が寝ぼけて出てきた、とか。 蛙は、冬眠から覚めて、土の中ですでに鳴くものもあるとか。 知らないことをたくさん聞きました。そして、今、外で蛙が鳴き出しました。 初蛙です。 低…

閉ざされた道の向こうに…

日曜日は主の日。 今日は、新しくお迎えした井ノ川先生の、就任後初めての主日でした。 声に張りがあって、ガンガン響いてきます。主のご計画は、人には計り知れません。 ですから、私たちには失敗や挫折に思えることも、 神様にとっては正しいこと、計画の…

春落葉

アメリカ人宣教師の眠る地に、春の落ち葉が降ります。 宣教師がこの地を訪れ、信仰が根付いたことにより、 多くの人々が信仰を与えられていきました。 私も、その一人です。神は、この弱い存在である人を用いて、ご自分自身を顕わしておられます。 私たちは…

初桜

桜の花は、咲き始めると早い。 そして、散り急ぐ。 うっかりすると桜を目にしないで終わってしまうので、 花だよりに注意したりする。桜は、始まりの時に咲く花。 桜には、希望がある。初桜、その花の下で、 若くないご夫婦があった。 夫が妻を見る、その笑…

木の芽風

平日の教会は、ひっそりとしている。 誰かが必ずいるのだけれど、それ以上に静けさを感じさせる。 教会の扉は、閉じられることがない。 いつでも、誰でも来られるようにしてある。 教会で祈りたい人は、いつでも来て祈ることができる。 神様に対峙できる、そ…

ヨブのように…

ヨブ記の勉強会が始まりました。 聖書研究祈祷会は、今日より新しい牧師を迎え、 ヨブ記を読むことになりました。ヨブは、私たちに重ねられます。 その人の生き方に関わらず、災害も死も病も突然にやってきます。 それでも神は存在し、全知全能で、私たちを…

つくしんぼ

土筆を一本見つけると、次々に目にとまります。 目がなじんで、草に立つ土筆を見つけることができるようになるのです。そう思って川原を歩いてみると、もう群生していました。 夕日が照って、土筆が透き通って見えます。 夕日に映えて、ペンライトのようでも…