『俳句界』5月号、
佐高 信の甘口でコンニチハ!
ゲスト安田純平さん、「デマを信じる危険」
とても面白い記事でした。ご紹介いたします。
〈柿食えば涙がにじむシリアの暗闇〉安田純平
「デマが及ぼす危険性」
私は2002年のときにも3日間捕まりましたが、それは「人質」ではなく、スパイ容疑のための拘束なんですよね。私がスパイではないとわかったので、すぐ帰されている。「人質」というのは、身柄の代わりに何かを要求したときにはじめて、使われる言葉なんです。でも、要求が出た形跡も何もないにもかかわらず、前回メディアは「人質」と書いてしまった。
大手メディアは、そのあと人質ではなく「拘束された」という言い方に変えていったんですけど、今回のことで、また04年のことが人質とネット上で言われています。
このデマ・誤報が流れたことで、世界の人々が、「人質が解放されている。ということは日本は金を払うんだ」と思ってしまっているんですよ。今回の拘束者はまさにそう考えて私を人質にしたわけです。
今回のことで特に言いたいのは、「拘束」と「人質」の意味は全く違うんだということです。
外務省は2015年8月に、家族から質問事項を聞き取っているんですが、それを私に聞いてきたのは、解放後の2018年10月14日です。捕まっている間に確認を取らなかったということは、交渉すらしなかった、ということなんです。
「変化していた テレビ・メディア」
声をかけてくれる人は、あったかい言葉ですね。冷たい人は、ツイッターとかで言っているだけで、直接は言って来ないんですよ。
ツイッターは、日本語が読めないのかと思うくらいに、全然話が通じないです。一つ前の発言をさかのぼって見ることもしないので、その一回分の発言だけで、「なんでこういうことを言わないんだ」と抗議がくる。いや、それ一つ前に書いているのに、という。わざとやっているのかもしれませんが、理論性もないし、日本語の理解力・読解力が落ちていますね。インターネット記事も、嘘か本当かなんて気にもしないんですよね。自分の発言を引用するにしても、「~と言っていた」ではなくて、「自分に非がないような考えを示した」とか地の文を付け足すんですよ。事実をそのまま書いているようなふりをして、違う話にしてしまう。
捕まっている間に、「韓国人です」と言った動画を撮られて。あれは「韓国人といえ」と強制されたからなのに、いまだに「あいつは韓国人だ」という人がたくさんいます。捕まっている状態で、好きなことが言えるわけがないじゃないですか。何かあったら殺されるかもしれない、ずっと解放されないかもしれない、そういうギリギリの線にいつもいた。
(以上、抜粋)
安田さんが戻って来られたことを、心より嬉しく思いました。
安田純平さん、これからの御活躍を期待し、応援しています。