呼吸のように・・・

俳句のエッセー

イースター

イースターおめでとうございます。

今朝、主は蘇られました。

朝、主のお墓を訪ねてみると、空っぽでした。

ご遺体すらなくなるなんて、戸惑い、絶望して

泣き崩れてしまいました。

主よ、主よ、

誰が、どこへ運んでしまったのでしょうか。

何故、そこまで執拗に私たちを追い詰めるのでしょう。

悔しさと悲しみで目が見えなくなるほどです。

そこへ、

「なぜ、泣いているのか」

と、声がします。その問いに目をあげると、

それは、主イエスご自身でした。

まさか、いえ確かにイエス様です。

「ラボニ!」

感極まって、思わず抱きつこうとしました。

しかし、主は制されて、

まず、弟子たちにこのことを告げるように、仰います。

これは、マグダラのマリアが経験したことでした。

マリアはどれほど喜んだでしょうか。

私の両親は、もう天国へ行きましたが、

誰かが、

「お父さまが、あの通りを歩いていましたよ」

と告げられたら、そんなはずはない、と思いつつ、

やはり言われた場所へ急ぐに違いないと思います。

母の後ろ姿に似た人が歩いていると、

絶対、母ではない、と分かっていても、

動悸が激しくなり、つい、追いかけてしまいます。

その願いは、必ず失望に終わったのですが、

今日、追いかけて行った後姿が、母その人であったなら、

紛れもない父であったなら、私は歓喜して抱きついたことでしょう。

ご復活の主に出会ったマリアの感激は、

はかり知ることができないほどです。

今日、主は蘇られました。

裏切って、ごめんなさい。

ついて行けなくて、ごめんなさい。

しかし、主は、蘇られ、

変わらぬ愛のまなざしを向けてくださいます。

イースター、おめでとうございます。

主は、永遠に私たちの主。

主は、死にうち勝ってくださいました。

私たちの恐れは、永遠のかなたへ去ってしまったのです。