呼吸のように・・・

俳句のエッセー

監督の資格

「監督の仕事を求める人があれば、その人は良い仕事を望んでいる。」

だから、監督は非のうちどころがなく、

一人の妻の夫であり、節制し、分別があり、礼儀正しく、

客を親切にもてなし、良く教えることができなければなりません。

また、酒におぼれず、乱暴でなく、寛容で、争いを好まず、

金銭に執着せず、自分の家庭をよく治め、

常に品位を保って子どもたちを従順な者に育てている人でなければなりません。

自分の家庭を治めることを知らない者に、

どうして神の教会の世話ができるでしょうか。

監督は信仰に入って間もない人ではいけません。

それでは高慢になって悪魔と同じ裁きを受けかねないからです。

  (テモテⅠ 3:1~6)

 

仕事や病気や、特別な理由もないのに、

家族に別帳会員がいる人は、長老にふさわしくないと思う。

まず、家庭を治めるのが大事であり、

家庭を優先させ、問題があれば解決することが、まず望まれる。

また、転入会して3年は被選挙権がないわけだが、

かつて教会員だった方が戻って来た場合は、転入会後、

すぐに被選挙権が与えられることになっている。

しかし、それは検討されるべきだと思う。

教会を知っていても、信徒を知らない。

ブランクが数年程度であれば別かもしれないが、

10年を超えるブランクがある場合、信徒も変わってしまっている。

そんな人が、どのようなご立派な経歴であっても、

即座に被選挙権を与えるのは無理があると思っている。

また、受洗後、すぐに委員会の仕事や

何かの役目を負うことには反対である。

信仰が奉仕にとって代わられる危険がある。

まず、霊を養うべきであり、受洗後の勉強会は何より大切と思う。

また、教会になれるための大切な時であり、

その意味では、日常諸奉仕は勧めた方がいいと思う。

それから、祈祷会には出席し、聖書を読み祈ることを身につけたい。

何事も最初が肝心である。

ただでさえ、信徒は忙しい毎日を過ごしている。

信徒を奉仕に疲れさせてはならないと思う。

日頃、仕事で重責を担っている者も多い。

その信徒を教会奉仕に縛り付けるのは、適当ではない。

奉仕はできる者が、できることをしたらいいと思うのであり、

積極性が望まれるのであって、~なければならない、では、

喜びも愛もなくなってしまう。

信徒は、教会に何かしてもらうことを期待してはならない。

自分に何ができるかを考えるべきである。

すべてを当事者と思い、考え、行動していくこと、

そうすれば、批判ばかりが横行することはなくなる。

もちろん、奉仕されるべき立場の信徒はこの範囲ではない。

以上、

普段より考えていることの一部である。