呼吸のように・・・

俳句のエッセー

天に宝を・・・

かつて、埋蔵文化財を整理する施設で、

火起こしの実験をしてしまって、怒られたことがありました。

もっともなことで、

火事にでもなったらどうするのだ、ということです。

その時は、火打石ではなく、

縄文時代の火起こしの器具を使ってみました。

木の板に、木の棒をこすり合わせて、

摩擦で火を起こす、良く知られた方法です。

火起こしは簡単ではありません。

コツもありますし、力も要ります。

「火起こしで火事になったら、大成功だ」

と揶揄したほど、簡単に火は起こせません。

さて、火起こしで煙が出始めたら、

もぐさなど、燃えやす物を近づけて火を燃え上がらせます。

火種は懸命に息を拭きかけて、更に火を大きくしていく、

こんな手順です。

この火、実験ですからすぐに消すわけですが、

もし、この火を取り上げて、誰かが付け火をしたとします。

火事になった責任は、どちらにあるのでしょうか。

火を起こした人か、付け火した人か。

そもそも、火があったから火事になったのだ、そう言えますが、

扱いを間違えなければ安全なわけでして、

それを付け火に利用したら、責任は後者にあると思います。

仮に、建物に火がついたとして、

それを黙って見ていたとしても、責任は免れません。

消火の努力をしなければいけません。

「あららら」では、済みませんよ。

さて、

昨年末からのブログ問題、

当事者同士は和解が成立し、仲良しになったことをご報告いたします。

神様の恵みです。

寛大に赦しをくださったお二人に、主の祝福がありますように。

天に宝を積んだお二人の信仰は、私たちの模範となりますように。

神様、ありがとうございます。