人の目には悲惨に見えることも、
神様には違うということもあるそうです。
あれから、わからなくなったことがありました。
あの人は、神様に見捨てられたのでしょうか。
神様は、傍にいて下さったのでしょうか。
なぜ、人は傍に居ることができなかったのでしょうか。
なぜ、孤独のままに死ななければならなかったのでしょうか。
ずっと疑問に思っていました。
それは今も変わりません。
が、神様の約束があり、
人の目に見える最期と、神様の約束は、一致しないものらしい。
最期、悲惨な十字架の死を遂げたイエス様は、
王の玉座に着かれました。
神様を信じて生きてきた人でも、
平安ではない最期もあるというのは否めません。
しかし、神様の約束は、最期の有様とは違い、
天の国で、果たされることなのでしょう。
あの人も、あの人も、今は、天の国で安んじておられるのでしょう。
神様の約束通り、永遠の命に入っていかれました。
天の国は、どのようなところかは分かりません。
私の想像は貧困で、フランス料理を召し上がっているとか、
美しい観光名所を巡っているのだろうとか、
そんな事しか思い浮かびませんが、
実際の天の国は、想像できないほどに素晴らしい世界なのでしょう。
そう考えると、少しだけ気が楽になりました。
神様との約束によって、今は、平安の内に、
神様と共に過ごしていらっしゃると、
心から信じることができそうです。