呼吸のように・・・

俳句のエッセー

催事終わる

段々色ギャラリー 金沢名鉄エムザ催事

「障がいのある作家展」~騒ぐイマジネーション~

本日22日午後4時、無事に終了いたしました。

ご来店いただきましたお客様には、心より感謝申し上げます。

はじめに、障がいのある無名の作家の作品をご覧いただくにあたり、

投資ではなく、他者の判断ではなく、

ご自身の目でご覧になり、好きか嫌いかをみていただきたいと

私は申し上げました。

食器を選ぶように、クッションを選ぶように、

ご自分がその絵をみて、疲れが癒されるとか、心が和むとか、

幸せになれるかどうかによって、選んでいただきたいと申しました。

無名の作家です。

あるのは、ただ、作品を見るあなたの心だけです。

その思いでご覧になり、たくさんの絵が引き取られて行きました。

ただその絵を愛でて、長く大切にしていただけるように、

そのことだけを願いました。

そして、その絵は、いまごろ、

お求めになった方々の手によって、お気に入りのどこかに

飾られていることでしょう。

「障がい」という文字が議論になりました。

期間中、お客様にも尋ねられました。

なぜ、この文字をあえて使ったのか。

「障がい」とは何か、まず、このことが議論されるべきですが、

それは別の機会に譲るとして、

私たちは、障害を認めたうえで、その才をも認め合うべきでしょう。

公平な社会とはなんですか。

平等な社会とはなんですか。

そんなもの、この世にはありません。

私たちは、顔も体も、何もかも違って生れてきます。

得手不得手があり、誰かができることが自分にはできない、

それが人間であり、この世は不公平にできています。

その中にあって、形式的な平等ではなく、真の平等とは、

お互いの違いを認めたうえで、長所を認め合うことを言うのではないでしょうか。

つまり、障害を認めたうえで、その卓抜した才をも

認め合うべきだと、それこそが、

本当の意味での、公平で、平等な社会ではないかと考え、

あえて「障がい」という文字を使いました。

障がいは、個性です。

この度の催事が、真の公平で平等な社会を目指しての

一歩となりますように、願って止みません。