呼吸のように・・・

俳句のエッセー

鶏頭を三尺離れもの思ふ

鶏頭を三尺離れもの思ふ   細見綾子

終戦後、1946年 昭和21年 5月
沢木欣一は、「風」を創刊し、綾子は、同人参加します。
そして、翌年、1947年 昭和22年、綾子は、沢木 欣一 と結婚します。
沢木は、綾子よりも、一回り年下でした。
 
この句は、ちょうど、結婚を前にした頃に詠まれていますので、座五の「もの思ふ」は、
沢木との結婚について、いろいろと考えていたのではないか、と解釈されてもいますが、
実際は、違っていたようです。

細見綾子 自句自解では、これは、故郷の丹波で詠んだといいます。
終戦前後は、丹波に戻っていました。
そこで、
「土蔵の白壁(しらかべ)がうしろにあり、晩秋の午後の日(多分3時ごろ)が
 鶏頭に集まっていて、実に静かだった。
 私は、美しいものを見た時は、いつも静かだと思う。」
と書いています。
「私は、その鶏頭に立ち止まって眺めた。
 鶏頭と自分との距離を三尺ぐらいだと思った。
 三尺は如何ともし難い距離だと思えたのである。
 それが、その日の最上の鶏頭への距離であった。
 鶏頭へ三尺の距離で、私は色んなことを考えていた。
 何を考えていたのかと問われても 
 言い証しはできないが、色んなことを考えている自分がそこに居た。
 ものを思うことは、生きているならわし、
 私は その時、特定のことを考えたのではない。
 いつもの物思いをそこへ持ち運んだのである。
 鶏頭から三尺離れた地点に。
 もしもそういうふうに感じていただくならば幸である。」

 「ものを思うことは、生きているならわし」
「我思う、故に我在り」(コギトエルゴスム)
デカルトの言葉に通じる一節です。

この句碑は、「風」が創刊された、
金沢市尾山神社に建てられています。
昭和62年 俳人協会25周年記念北陸大会が、金沢で開催されました。
その際、沢木欣一は、尾山神社を訪ねていますが、その時の ある出来事を、
沢木先生は、エッセーに書いています。
面白いので、ご紹介します。
「30歳ぐらいの青年が近づいてきて
 私の名を呼び 話しかけてきた。
 知らない人で、口鬚を生やし ジャーナリストか カメラマンのような恰好。
 近頃 俳句に興味があると言う。そして、
『鶏頭を三尺離れもの思ふ』について、
 鶏頭から 鶏(にわとり)のとさかを連想し、
 頭をかしげて もの思いにふけっている作者の姿でしょうか、
 と問われた。
 私は不意をつかれたが、
『なかなか面白い感覚ですね。そういう鑑賞は初めて聞きます』と答え、
 愉快になった。」


かなり強烈な鑑賞です。
愉快になった沢木先生の懐は深い、と思いました。