呼吸のように・・・

俳句のエッセー

立て、行こう

「立て、行こう。

 見よ、わたしを裏切る者が来た。」

ゲッセマネの園において、血の滴るような祈りをされたイエスが、

死ぬばかりに悲しいと言われたイエスが、

その十字架を受け入れた瞬間でした。

「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」

「その杯」と言われた十字架を、

主イエスは選び取られた言葉だったと思います。

主は言われます。

「立て、行こう」

それが、人の目には愚かなことであったとしても、

人には不思議に思えることであったとしても、

主が先に立って進まれる業である限り、

私たちは、主の道に従います。

神様のなさることに間違いはありません。

神様に従うとき、神様はすべての責任をお取りになります。

一人ではありません。

主が先だって進まれます。

神の愛の業のために、

「さあ、立て、行こう。」

主がお呼びです。