高校生のころ、ミッションスクールだったので、
一年に一度、修養会というものがありました。
泊りがけで聖書を学び、討論するというものです。
私たちのグループでは、自殺について、話が及びました。
多感な高校生たちが、自殺について、各々の意見を交換しました。
なぜ、このことを覚えているかというと、
その時、私はグループリーダーで、司会を務めていました。
与えられた聖書箇所に基づき、テーマに沿って話し合いの方向を導いていくのですが、
自殺という言葉が登場してから、話の中心がそちらへ傾いてしまい、
修復できず終了したことが、失敗として心に焼き付いているからです。
担当の教師が、「自殺で終わってしまいましたね」
というようなことを言ったのを覚えています。
それで、自殺ですが、
人間、何十年も生きていると、
死にたいと思うことの一度や二度はあるものでしょう。
絶望など、その辺に転がっています。
ではその時、どうやって立ち直るのか、その方法をお教えします。
そんな時は、まず、寝る。寝て身体を休めるのが一番です。
寝られない場合もあります。その時は、
自分に言い聞かせます。
「分かった、死のう。死んでいい」
あえて否定はしません。ただ、条件を付けます。
「今、抱えている予定を済ませてから」
小さなことでいいので、予定の一つを終えること、
それを条件とします。
週末、友人と会う約束をしているとか、
明日、仕事で大事な予定が入っているとか、
映画を見てから、など、
ささやかでいいので、数日先の予定を終えてから、
それから死んでいい、と自分と約束するのです。
大概は、その時まで、死にたいと言う思いはなくなります。
自殺は、衝動に近い感覚がほとんどだからです。
死んではなりません。
死ぬ気になれば、なんだってできます。
あなたがいなくなると、悲しむ人がいます。
それは、必ずいます。
あなたが気づいていないだけです。
高校生たちが熱く語り合ってから、もう、30年以上も経ちました。
私も生きています。
そして、命について、より深く考えさせられています。
生きるとは、死について考えるところから、始まるのかも知れません。
死について考え始めた人は、
より新しく生き始めた人、と言い換えましょう。
私たちは、今、生きている、
大切な命です。