呼吸のように・・・

俳句のエッセー

葬儀について

先日、始めて臨済宗のお葬儀に出会いましたが、

その鳴り物の多さと、僧侶の「喝」の一声に驚いた次第です。

そして、その後、

教会の葬儀に出席しましたが、

なぜか、臨済宗の葬儀より30分以上も長いとは、

こんな話でしたか・・・

ご近所の方々が、

家族葬だと言っていたけど、こんな長いとは思わなかった・・・

そのような声が聞かれました。

この辺りでは、圧倒的に浄土真宗が多いわけですが、

浄土真宗は15~20分くらいのお経だと思います。

その後、法話があっても、45分程度のはずです。

お寺さんによっては、小難しいことを言う場合もあるようですが、

1時間以内には終わる算段です。

会葬の方々も、だいたいその予定でいらしていると思います。

連休中の葬儀。

1時間を超えて、出棺がまだとは、ちょっと間延びしました。

以前はなかった献花も、段々と懇ろになり、

また、会場スタッフは教会員ですから、訓練された人員ではありません。

手伝いに来た葬儀社との打ち合わせのまずさを思わせる案内の不備、

揚げ句に、棺の蓋を、聖餐台に置く始末で、

はらはらさせられ通しでした。

こんなに時間がかかっては、お付き合いの方々は

今後、出席を考えると思います。

説教も何も、感動もあったものではなく、

現代に見合わない非合理的な演出に、皆、食傷気味。

この教会、こんな話でしたか。

かつては、一切のお花も認めなかった、礼拝を重んじた

厳格な改革長老教会が、なんたるざまでしょうか。

いつの間に、こんなことになったのか、

疑問の声が上がっても当然でしょう。

今一度、礼拝としての葬儀について

議論の余地がありそうです。