呼吸のように・・・

俳句のエッセー

万事を益として

「万事を益として共に働く主」

このように聖書には書かれています。

これは、様々に事が起こり、人は様々に動きますが、

最後には主が御働きになり、良い方向へ導いてくださる、

ということでしょうか。

確かに、正しいでしょうが、

このように書くと、誤解も多いように思えるのも事実。

 

人には自由意志があります。

その自由意志をどのように使うかが課題で、

悪いようにも、いいようにも使うことができる、

自由とはそのようなものです。

では、何を選べば「良いこと」なのか、

それは、「神様を選ぶこと」「神様の意思を選ぶこと」でしょう。

また、先日の説教では、

「神様の協働者になること」というようなお話でした。

神様は、全地全能の神様ですから、人が神様に何かできるかというと、

何もできません。つまり、

神様は人を必要としていないわけです。

にもかかわらず、

共に祈るように、傍らにいるようにおっしゃいます。

主の祈りしかり、ゲッセマネの祈りしかり、

人は眠りこけてしまうのに、その場へ連れて行かれます。

主は、共に働くことを望んでおられます。

そして、そのことに於いて、

神様と人間は結びついています。

祈らねば、神様と私たちは、何の関係もなくなります。

私たちが祈る前から、神様は、私たちの必要を知っておられます。

ならば、祈らなくてもいいのに、主は祈りを求められます。

祈らなくても、それは、成し遂げられるかもしれません。

しかし、神様と私たちは、その出来事に於いて、何の関係もなくなるでしょう。

神様は、私たちに共にいて欲しいと、

そのことを自由意志で、選び取ってほしいとおっしゃっています。

それは、祈ること。

主の約束を守ること、つまり、神様を愛する事、

それは、自分自身を愛し、同じように他人を愛する事。

愛するとは……行動する事。

神様は、万事を益として共に働いてくださいます。

神様の許で、協働者になることこそが、

私たち人間の為すべき業なのでしょう。