呼吸のように・・・

俳句のエッセー

曼殊沙華

  夕方は遠くの曼殊沙華が見ゆ   細見 綾子

曼殊沙華のはっきりとした朱色、河原などに見かけます。
土手一面の曼殊沙華は、遠目にも鮮やかに見えます。
しかし、夕方になったからといって、
遠くの曼殊沙華が見えて来るとは、実景として考えにくいのではないでしょうか。
掲句にあるような感覚は、むしろ、心情をくみ取ることができます。
つまり、夕方に、遠くに目をやる作者の姿を想像させるのではないでしょうか。
夕方、残照の中、曼殊沙華の鮮やかな赤色は、暮れ残って見えることでしょう。
あるいは、昼間は気づかなかったほど、鮮やかな曼殊沙華を、
スポットライトのように、夕日が作り出しているのかもしれません。
しかし、そのことに目を止めた作者の心は、
仕事のあとの安堵感からかもしれません。
あるいは、誰かの帰りを待っているのかもしれません。
いずれも、解放された作者の心だと思いました。
夕方、訪れる、一日の終わりの開放感。
その思いから生まれた一句、と受け止めてもいいでしょう。
情熱的な綾子先生にふさわしい花のようでもあり、
綾子先生らしい、意外な捉え方でもあり、繊細さともいえるでしょう。
このような心で、自然を捉えてみたいと願います。