呼吸のように・・・

俳句のエッセー

最後の晩餐

今日は、「最後の晩餐」が行われた日です。
主イエスが、パンとブドウ酒をとり、
これは私の肉、私の血・・・と言って、弟子たちに分けられた、その日です。
その後、ゲッセマネで捕らえられ、裁判にかけられ、
明日、十字架刑に処せられます。
一切れの小さなパン、
小さな杯のブドウジュース。
実際は、このようなものを口にしますが、
私たちにとって、これは主イエスの御体に違いありません。
金沢の繁華街にあって、聖堂は、驚くほど静かでした。
おそらく、あの日も、このような隔たりがあったことでしょう。
主イエスと弟子たちにとっては、生死にかかわる大事件が起こったというのに、
周りの人たちはほとんどが無関心に過ごしたのではないでしょうか?
今夜の静けさは、その無関心の象徴のように感じました。
彼らは、憎しみをもって、主イエスを十字架にかけたのですが、
その大半は、イエスという男が死のうが生きようが、
大きな問題ではなかったのかもしれません。
私たちは、いつもいつも、大切なことを見損なって生きています。
最も大切なことが、見えないのです。
理解できないのです。
この哀れな人間の過ち、それが十字架のイエス・キリストに表れます。
憐みを乞いましょう。
神様の名を呼びましょう。
その時、私たちの罪の象徴である十字架が、
救いの御業として、変えられるのです。