呼吸のように・・・

俳句のエッセー

神の心

後藤健二さんは、神の許へ召されました。
ご家族にとっても、私たちにとっても、悲しい出来事でした。
健二さんは、旧約聖書詩篇54篇、
「神はわたしを助けてくださる」
このみ言葉を胸に刻んでいたそうです。
おそらく、生存への希望を捨てずにいらしたのだと思います。

では、神は健二さんを見捨てられたのでしょうか?
それとも、健二さんの悲惨な最期は、神が望んだことだったのでしょうか?

どちらも違うと思います。
なぜ、このような悲惨な出来事が起こるのか、
それは誰にもわかりません。
ただ、万事を益として共に働く主がおられる、
それだけだと思います。

悲惨なことは、神以外のものから起こります。
神は、その悲惨を回避されず、それをも用いて、
さらに大いなることを成し遂げられるのでしょう。
そのことを信じます。

神は永遠です。
後藤さんの魂は神の許にあり、
湯川さんの魂も神の許にあり、
彼らの痛みは、現在のこととして、神が覚えておられます。
全知全能の神は、命の源です。
私たちは、彼らに再び会うことができるでしょう。
ただ、今は、
この地上で再び会うことができなくなった悲しみに、途方に暮れるばかりです。
あまりにもあっけなく思えた命の終わりは、
私にも深い影響を与えました。
限りある地上の歩みを考える、十分な課題を与えられたような気がしています。