呼吸のように・・・

俳句のエッセー

踏絵

キリスト教の信者でないという証として、
踏絵を踏ませた時代がありました。
春先に、よく行われたことから、春の季語になっています。

キリスト者となることが、すぐに命の危険に結びついた時代。
それでも信仰を守った人たちがいたのです。

踏絵には、いろいろな種類があり、
良く知られている、キリストを刻んだものや、
足形に十字架が刻まれたものなど、さまざまです。

踏絵に何が描かれていたとしても、それは神ではありません。
偶像を禁止した信仰は、そのような板切れを踏んだとしても、
神を踏みつけたことにはならないでしょう。
では、あなたは踏絵を踏みますか?
答えは、わかりません。
実際、それを踏んだとしても、信仰には影響ない、といえるかもしれません。
ですが、私は、こう考えます。
確かに、踏絵は神ではありません。
しかし、それを踏むことは、人の前に
「私はキリスト者ではない」と公言していることになります。
このことにおいて、踏絵には意味があると言えるでしょう。

歴史上のこととのみ考えず、実際の私たちに当てはめて考えることは、
決して無駄なことでも、愚かなことでもないと思っています。