呼吸のように・・・

俳句のエッセー

暗む厨

  八月六日暗む厨に黙禱す    和生
八月六日、それだけで分かるその日は、
広島に原爆が投下された日です。
朝、8時15分。
登校日の朝礼のその時だったということも、
洗濯物を干していたということも、
証言として残されています。
朝の生活の時間帯、8時15分でした。
作者は八月六日、その時、厨に黙禱を捧げました。
今も、その時は生活の時間帯であり、
作者も、この時、たまたまそこに居合わせたのではなかったでしょう。
たった一瞬で、多くの命が昇天し、
焦土と化した広島の悲劇は、語りつくされることはありません。
水を求めて、あるいは食料を求めて彷徨った方々のことは、想像を絶します。
「厨」という場所が、そのことをも思い起こさせます。
対して、今の幸せがどれほどのものかと訴えます。
広島忌、原爆忌と言わず、「八月六日」と表現し、
豊かな現代の厨の片隅での黙禱は、むしろ過去の痛みを思い起こし、
強く訴える写生となっているのではないでしょうか。