呼吸のように・・・

俳句のエッセー

聖餐

今日は聖餐式
パンと葡萄ジュースをいただきました。
3月まで無牧のため、第二日曜日に聖餐が執り行われています。
かつて憧れた小さな杯の赤い飲み物。
そして、小さなパン。
聖餐に与れるようになったことの感謝のしるしとして、
求道者の方々のためにお祈りをお捧げいたします。

信仰を得るとは、小さな者になること、という気がします。
信仰を得て、それを誇りとしている人がいたなら、
何か間違っているのかもしれません。
誇るべきは、信仰を得た自分ではなく、
信仰を与えてくださった神ご自身だと思うからです。

小さな者にされた(その事に気付いた)時、
それは不幸ではなく、幸いでした。
なぜなら、足りないところは神様が補ってくださると知ったからです。
主に敵う者はありません。
小さな自分は、その分、大きな自分になったわけです。

愚かさを認めれば、その分、賢くなると知れば、
あっさりと神様に負けを認めて、委ねるのが得策でしょう。
主の僕は、恵みに満ちているのです。

その信仰とは、十字架の贖いを信じること。
パンと葡萄酒は、イエス・キリストの体、
救いのしるしです。