木の実がなる教会の庭。
日曜日は主の日。
人は、今日一日だけではなくて、明日も明後日も
安心していられるように、糧をため込もうとします。
しかし、荒野のマナのように、
それらは蓄えられず、余分は腐ってしまいます。
信仰も同じだとのこと。
日々、御言葉をいただき、新しくされなければ、
腐ってしまうのです。
溜め込んだ分を信仰と思い、人生の杖とすると、
愛ではなく同情であったり、自己満足のためであったり、
自分の能力に頼ってしまったり…
信仰から外れていきます。
ただ、御旨に添って生きること。
しかし、御旨は何か、問わねばなりません。
そのために祈ることができますように、
今、ただ、そう願い求めます。
祈りは、呼吸。
祈りは、命。
主の道を尋ねます。
主の道が示されたなら、
従って歩み通すことができますように、
導きお支えください。
御名により…