呼吸のように・・・

俳句のエッセー

亀鳴く

これは、本当に幼いころの記憶なのですが、
家の背戸で亀を捕まえたことがあります。

黒っぽい甲羅で、大人の掌ほどの大きさだったように思います。
子どもだったので、大きく見えたのかも知れませんが、
決して、緑亀のような小さいものではありませんでした。

祖母が、
「あら、亀。亀やわ、ほら」とか言って、
荒っぽく甲羅を掴むと、足をぐるぐる動かしていたように思います。

亀なんて捕まえたのは、後にも先にも、その時一回きりです。
今では考えられないことですが、当時も珍しいことだったと思います。

その亀は、「可哀そうだから放してやろう」ということで、
祖母が、城山にある沼へ放しに行った、というお話でした。
祖母が言うには、
「あの亀は、えらい喜んで、何回も振り向いては、
 頭を下げて、お礼を言うて、行ったわね」
と、こんな報告をしてくれました。

子どもの私は、
亀とはなんと礼儀正しく、賢い生き物なんだろう、と感心しました。
さすが、一万年も生きるだけあります。

母が後で、亀は鳴くんだよと教えてくれました。
鳴くのを聞いたか、と尋ねるので、
「ううん」と知らないと伝えると、「え、そうなの」と驚いてみせて、
「ひゅーーー」って鳴くと言うのです。
「ふーん」と興味深々で聞いてから今日まで、
亀が鳴くのを聞いたことはありません。

歳時記には、春の季語に「亀鳴く」というのがあります。
しかし、「亀は実際に鳴くことはなく、空想的な季題」だそうです。
           (沢木欣一編『風俳句歳時記』平成8年)

我が家の女性たちは、大変な嘘つき…というのではなくて、
祖母も母も、子どもの私に聴かせてくれた、
おとぎ話のようなものだった、ということでしょう。

そう言えば、小学校に入るまで、
「世界で一番エライのは、うちのお父さん」だと信じていました。

作り話の得意な、夢のある女たちでした。