呼吸のように・・・

俳句のエッセー

誰がために

誰がために赤き実あまた山法師

 

拙句です。

赤い実をたくさんつけていた山法師。

山ですから、人気はないし、

鳥さんが食べに来るのかな、と思いつつ

詠んでみました。

誰のために。

そういえば、法律は、

人のためにあるのであって、

法のために人がいるのではありません。

もちろん、完璧とはいきませんので、

立法府が日々、努力しているというわけです。

つまり、

人が「おかしい」と思うことは、

何か間違って捉えている可能性がある、ということです。

 

法は、人のために、

特に弱い者の味方なのです。

また著作権は、文化発展のためのものだったはずです。

用いる者が間違うと妨げにしかなりません。

誰がために・・・

本意を理解するために、この問いは大切です。

自戒を含め、

肝に銘じておきましょう。

紅頬集

雉ホームページについて。

会員の皆様の「紅頬集」(こうきょうしゅう)の秀句佳句を、

今、ホームページ公開しています。

横書きになっていますが、よろしければご覧ください。

主宰の選評と一緒にのせていますので、

とても勉強になります。

普段、読み飛ばしていたりするようで、

ネットに載せるようになってから、丁寧に読むようになり、

私も勉強になっています。

俳句は難しくて、

気持ちが入り過ぎてもダメですし、

ただごと、もダメですし、

自分一人で感動していても詩になりませんし、

すぐにマンネリ化しますし、困ります。

そんな時、皆さまの俳句をお読みして、

選評と自分の感想を比べたりすると、

発見と感動を味わえます。

俳句に興味のある方は、是非、ご覧ください。

楽しいですよ。

師走

いよいよ最後の月になってしまいました。

そして、年賀欠礼のお葉書が届くころとなりました。

ご近所なのに、うっかりとしていた大切な方もあり、

かなり、うろたえています。

父がお世話になった方、

私の先輩、

いずれもお若くして、急逝とあり、

ショックが大きいです。

残念です。

もっとお付き合いできると思っておりましたのに…

段々と、上の方がいなくなってしまいます。

寂しいです。

私も、

いなくなると寂しい、と思われる人間になりたいですね。

ローマ教皇

あっという間の4日間でしたね。

感動して泣いている青年が報道されていましたが、

できれば私も会いたかったです。

日本に大きな影響を与えて行かれました。

私も、心に残る言葉がありました。

日本も変わるかもしれません。

信仰は人を変えます。

感謝を込めて。

つながり

俳誌「雉」のHPを担当することになり、思い出したことがあります。

初めて「雉」にHPをつくることになった、あれは、5年以上前のことです。

「HPに期待すること」という内容の文章を書かせていただきました。

それは、

HP全体を「雉」の俳句博物館的な仕上がりとして、

新しい記事、季語などの資料、主宰の部屋、

そして、

「思い出写真館」「インタビュールーム」を設けようというものでした。

今、まさに、それらを実現させるチャンスをいただいたわけです。

まず「思い出写真館」をアップしました。

これは、「雉」創刊主宰 林 徹 先生の写真集です。

スライドショーにしたため、写真の説明が入っていませんが、

ご覧になられた方で、ご存知の方もあるかもしれません。

林徹先生は、耳鼻咽喉科の医師でいらっしゃいました。

同じく佐藤尚夫先生、宮崎修先生は、徹先生と親しく、

徹先生に誘われて、俳句を始められました。

そのお三方が、仲良く写真に収まっているというわけです。

佐藤尚夫先生は、金沢で「佐藤耳鼻咽喉科医院」をされており、

今は、ご子息が後をお継ぎになっていらっしゃいます。

佐藤尚夫先生と宮崎修先生とは、句会で、大変お世話になりました。

佐藤先生が、同じ医師の先輩として尊敬している、とおっしゃった方が、

片岡茂太郎先生でした。

片岡先生はキリスト者で、医師会でも、良く、神を説いていらしたと伺いました。

片岡長老は、私にとって忘れられない信仰者です。

その片岡先生は鉄道病院の委託生となり、復員された後は、

鉄道病院の医師として勤務されました。

その後、耳鼻咽喉科を開業されたわけですが、その時に、

鉄道病院の席を、後任として林徹先生にお譲りになったそうです。

不思議なつながりだと思いませんか。

私は、このような人のつながりを、とても愛おしく思います。

無名の人であろうと、偉業を成し遂げた有名人であろうと、

等しく「人」としての時があったことを思うと、いつも感動します。

そして、人は人とつながりを持っています。

必ず、つながりがあります。

その不思議な〈神によっての〉つながりをひもといてゆくのも

私は大好きなのでした。

神様のことを思わずにはいられません。

神様は、人をつないで、ご計画を実行されているのです。

一人一人を見ると、不完全でどうしようもないと思うことがしばしばですが、

こうして大きな時間のうねりの中で、人の営みを見るとき、

そこに、確かな神の意志があることを思います。

神様にとって、過ぎ去った時も現在も未来も、等しく御手にあったのであり、

今も神の業として、全てが御手の中にあると確信できます。

神様は、どのような人も、等しく、愛おしく思っていらっしゃいます。

こんな小さな存在が、全力で走り、泣き、笑い、睦み合って生きています。

これほど愛おしい存在はないでしょう。

神様は、人を、すべての人を愛していらっしゃるのです。

時を大切にし、人を大切にしましょう。

けれども、その思いに挫折するのが、また「人」です。

その全身で悩む私たちを、

神様はいつくしんでいらっしゃるに違いありません。

人のつながりを思う時、その物語を思う時、

神様の愛を知ることができます。

「雉」俳句と教会を結んだ、この神様の物語に、感動が止みません。

皆さまも、是非、「雉」HPにある、「思い出写真館」をお訪ねください。

徹先生以降、今も、その「つながり」は続いています。

物語は進行形。

神様の物語です。