呼吸のように・・・

俳句のエッセー

騒ぐイマジネーション2020

騒ぐイマジネーション

障がいのある作家展2020

 

2020年 1月15日(水)~21日(火)

(※最終日は、午後 4 時 閉場)

めいてつ・エムザ 5階 美術サロン

後援:石川県神経科精神科医

協力:段々色ギャラリー

 

謹啓

 初春の候、皆様にはますますご健勝のこととお慶び申し上げます。

日頃は格別のお引き立てを賜り厚く御礼申し上げます。

さて、この度めいてつ・エムザでは「障がいのある作家展2020」を開催する運びとなりました。パラリンピックが開催される今年、スポーツ同様に障害者アートのすばらしさも多くの方へ広がればと願っております。

 是非ご高覧くださいますようお願い申し上げます。   謹白

 

めいてつ・エムザ

金沢むさし TEL076‐260-1111(代表)

www.meitetumza.com

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1月19日(日) 色えんぴつの作家 藤橋 貴之さん 来店予定!

また、注目の石川県の作家、小林あゆみさんの作品を展示即売いたします。

今回は、事故によって右手を失った作家 倉持智行さんもご参加くださっています。

 

皆様のご来店、心よりお待ち申し上げます。

梅が香

梅が香にのつと日の出る山路哉   芭蕉

 

「のつと」が印象的な俳句です。

すべて暗記していなくとも、

「のつと日の出る」は、すぐに出てくる言葉でしょう。

日の出前に宿を発った翁は、間もなく、

山際を一気に見えなくしてしまうほどの光の塊が

昇って来るのに遭遇しました。

この朝日は、梅の香を一層強くし、

「春」という命の勢いを、作者にしらしめたのでしょう。

芭蕉51歳。

これが最後の春でした。

そう考えると、この句には、特別な景色があるように思えます。

しかし、それは、今だから言えることかもしれません。

芭蕉は、ただ、この時も

淡々と時を過ごしていたのではなかったでしょうか。

いつもの、そして、特別な一瞬を、

芭蕉は歩んでいたのでした。

長閑ながら、緊張感が芯を貫いているこの一句は、

そのような芭蕉の生き方から作り出されたように思います。

あたりまえの一日を、特別な一日として生きられるか、

それは、今も変わらず問われている、

人としての生きる姿勢です。

それを保つことができる要素を、

人は、それぞれに持っているのでしょうが、

私にとって、それは、信仰であり、

それ以外の何ものでもありません。

明日、また、空に日が昇ろうとも、

今日香る梅は、明日はもうないかもしれません。

それでも、その梅を永遠に留め置くところがあり、

人が、永遠に生き続けるところがある。

だから、私たち人間は、希望を失うことなく、

歩んで行くことができるのです。

一瞬の時を、永遠に記憶している神。

その神は、記憶だけではなく、

過ぎ去った一瞬を、現実として戻してくださいます。

その神に希望をおく限り、

今日は咲き、明日は失われる梅の香も

ただ過ぎ去るだけの、虚しいものではなくなるのです。

 

 

 

金銀の紙ほどの幸

金銀の紙ほどの幸クリスマス  沢木 欣一

 

社会性俳句を打ち立てた沢木欣一は、

この俳句において、クリスマスを嘲っているのでしょうか。

欣一が詠んだのは、貧しく、食べる物も十分でなかった時代。

「クリスマスが来たと耶蘇は喜んでるが、生活は相変わらずだ。

 まるで、この金紙や銀紙のように薄っぺらな「幸」でしかない」

そういっているのでしょうか。

そうかもしれません。今でもそうです。

クリスマスがやって来ても、むしろ自分の孤独を深め、

欲しいものは手に入らず、待ち人は来ない。

それがクリスマスの喜びだと言うのでしょうか。

しかし、聖書は語ります。

 

ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。その男が何かもらえると思って二人を見つめていると、ペトロは言った。

「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

 

男はたちまち足が強くなり、躍り上がって神を賛美しました。

神様の「幸」とは、私たちと次元が違うようです。

しかし、この男の足が強くなった奇跡を「幸」と言っているのではありません。

肉体は、いつかは衰えます。

高価な洋服や宝飾品も、いつかは古びて、朽ちて、失われてしまうでしょう。

お金で手に入れた物は、儚いものです。

お金で手に入れた人間関係は、お金と共に失われるでしょう。

人の心は、お金では買えません。

本当に大切なものは、お金では買えないものばかりです。

 

わたしには金や銀はないが、あるものをあげよう。

イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。

 

イエス・キリストの名によって、私たちは生きます。

この世では、紙切れ一枚ほどの幸でしかなさそうですが、

実は、永遠の命と、罪の赦しとが与えられる、

全き救いの出来事、それがクリスマスに起こりました。

救い主が誕生したのです。

わたしたちは、それよりもお金が欲しいかもしれません。

美味しいものを食べて、贅沢を望むかもしれません。

ですが、それらは全て、過ぎ去っていくだけのはかないものにすぎません。

イエス・キリストの名が与えられたクリスマスは、

金や銀にまさるものです。

わたしたちは、貧しくても、明日が知れなくても、喜びます。

なぜなら、そこにこそイエス・キリストの姿があるからです。

救いは、施しでは与えられません。

救いは、貧しい姿の神が行った、命を投げ出すと言う愛の行動によって、

成し遂げられるのです。

救いは、お金では買えません。

 

尊き貧しさを知る私たちは、

「金銀の紙ほどの幸」の価値を知って、

クリスマスの夜、大いに喜ぶのです。

神の愛の象徴とも読める一句だと言えるかもしれません。

諸子

  割箸へまなこ見開き初諸子  田島 和生

 

「諸子」

小さな魚です。

作者は琵琶湖近くにお住まいですので、

諸子をよく召し上がるのでしょう。

淡水魚だそうで、海の魚の多い

私の地方では、あまり見かけません。

食べてみたい、諸子。

美味しそう、諸子。

まん丸な目玉が印象的な小魚です。

五位鷺と稲光

五位鷺の低く鳴きゆく稲光   田島和生

 

私の記憶では、五位鷺は、きれいな声ではありません。

青鷺もぐるるぐるると鳴きますが、

似たようなものだったと思います。

違っているかもしれません。

掲句、「低く鳴きゆく」とありますので、

イメージは、遠くないと思います。

唸るようにして、五位鷺が飛んだのは、

空は荒れ、稲光が天を割ったときだったのでしょう。

稲光と五位鷺が動きません。

田舎に住んでいますが、このような風景は見たことがありません。

一瞬の緊張を詠み上げたこの句に、

心が惹かれました。